「本気になるのがダサい時代」に思うこと

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最近よく言われる「冷笑」について考えることがある。

今の時代は、本気で何かに取り組む人よりも、少し離れた場所から冷静に物事を語る人の方が“賢く”見られやすい。

何事も俯瞰して見られているように見えるし、余裕があるようにも見える。
「自分は全部分かっています」という空気を出しながら、頑張っている人よりも優位に立てているような感覚になれる。

特にSNSでは、それがさらに加速しているように感じる。

匿名で、リスクを取らずに誰かを批判できる。
実際に挑戦することなく、外側から評論することができる。

そしてそれは、驚くほど楽だ。

自分もそうだった。

何かに本気になっている人を少し斜に構えて見たり、頑張っている人を批判することで、自分の方が余裕がある人間のように思い込もうとしていた。

でも今思えば、それは「冷静」だったわけではなく、ただ傷つくことから逃げていただけだったのだと思う。

本気で努力して、もし何も残らなかったらどうしよう。
挑戦して失敗したら、自分の価値まで否定される気がする。

だから最初から「自分は全部分かっている」という立場に立ち、挑戦しようとしている人を批判する。

その方が安全だからだ。

でも、本当に強い人は、外側から評論している人ではなく、恥をかいてでも動ける人だと思う。

冷笑を続けていると、物事を複雑に考えすぎて、結局何もできなくなっていく。

他人を批判して一瞬気持ちよくなったとしても、自分の人生は何も変わらない。
むしろ、自分が発したマイナスな言葉は、少しずつ自分自身の内側もネガティブにしていく。

だからこそ、自分は冷笑する側ではなく、少しでも気になったことに対して、とりあえず動ける人でいたい。

実際にやってみると、本気で続けている人がどれだけすごいのか分かる。
どれだけ熱量を持って生きているのか分かる。

そして、自分もそうなりたいと思う。

今の時代、本気になることは時々“ダサい”ものとして扱われる。

でも、本当にかっこいいのは、冷笑している人ではなく、笑われる可能性があっても前に進める人間なのだと思う。

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