僕は昔、自分には努力を継続する力がないのだと思っていた。
幼少期から両親は勉強の大切さをよく教えてくれたし、「頑張ること」は常に身近にある環境だったと思う。しかし実際の自分は、勉強に限らず、何かを継続することそのものがあまり得意ではなかった。
「やらなければいけない」という気持ちはずっとあるのに、途中でしんどくなって続かなくなる。最初はやる気があっても、時間が経つにつれて熱量が下がってしまう。そんなことが多かった。
そのような経験もあり、以前の僕は「継続できる人」は意志が強い特別な人で、自分はそうではないのだと思い込んでいた。
しかし大学に入り、好奇心の赴くままに色々なことを試していく中で、少し考え方が変わった。
強制されてやるものではなく、自分が「やりたい」と思えたものに関しては、意外と続けられることに気づいたからだ。
その中で、自分なりに大切だと思ったのは、できるだけ早く生活の一部にしてしまうこと、つまり「習慣化すること」だった。
ただ、僕には完璧主義なところがある。そのため、少しでも継続が途切れてしまうと、一気に嫌になってしまうことがあった。これも実際に継続してみて初めて分かった自分の性質だった。
だからこそ、一度休憩したり継続が途切れたりしても、また自然に再開できる状態を作るためには、「頑張り(意志の力)」ではなく、「習慣(仕組み)」にする必要があるのだと思う。
僕は、習慣にするためには最低でも1〜2週間ほどは、何があっても続けるべきだと思っている。
習慣化するまでは、人間は楽をしたい生き物だからこそ、どうにかして“やらない理由”を探してしまう。
だからその期間は、完璧を求めることよりも、「少しでもやった」という事実に目を向けることが大切なのだ。
ただ、ここで「数字として結果が見えるもの」と「見えないもの」で、少しアプローチが変わってくる。
数字として結果が見えるもの(例:ランニング、勉強時間など)に関しては、毎日自分で決めた努力を継続することが大切であるため、ある程度完璧を求めること自体は悪くない。実際、それを継続できると少しずつ自信にも繋がっていく。
しかし、そこで最も大切なのは「日によって努力量を変えないこと」だ。
これは悪い方向だけでなく、良い方向にも言える。
例えば、1日3キロ走ると決めたなら、習慣になるまでは4キロ走ることもあまり良くないと思う。
その日の気分によって努力量を変えてしまうと、自分の中の基準が少しずつ曖昧になっていく。そして人は、一度基準を変え始めると、少しずつ楽な方へ流されてしまう生き物だからだ。
だからこそ最初は、「どれだけ頑張ったか」よりも、「同じ基準を続けられたか」の方が大切なのだと思う。
逆に、数字として見えないもの(例:思考、感性を磨くことなど)に関しては、完璧を求めすぎるとキリがなくなってしまう。
終わりが見えないものに対して常に完璧を求め続けると、どれだけやっても自分を認められなくなってしまうからだ。
だからこそ、そういうものに関しては「できたかどうか」という結果だけではなく、「今日も向き合えた」「今日も続けられた」というプロセスそのものを積み上げていくことが、確かな自信に繋がっていくのだと思う。


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