問題の解像度

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最近、ネガティブ思考になっている時ほど、いろいろな気づきがあるように感じる。答えのない問題について深く考えたり、空想にふけったりするのも、どちらかといえば心がネガティブに傾いている時の方が多い。

以前、本で「性格はメガネのようなものだ」という考え方を読んだことがある。僕はこれがとても面白いと思った。

つまり、物事の見方は自分の解釈次第でいくらでも変えられる。性格というメガネを掛け替えることで、同じ出来事でも違った見え方をするということだ。

ここから一歩進んで考えてみた。

ポジティブな人は、ただ「深く考える時間が少ない」というだけではなく、物事の細部にあえて焦点を合わせすぎないのではないだろうか。

逆に、ネガティブ思考の人は物事をよりクリアに見ようとする。だからこそ、普通なら見落とすような細かい部分にまで気づいてしまい、しんどくなるのではないかと感じるのだ。

この「視界の鮮明さ」という視点で、世間でよく言われるストレス発散法(筋トレ、ランニング、読書など)についても考えてみた。

筋トレやランニングは、自分に肉体的な負荷をかける行為だ。そのしんどさに意識を集中させることで、頭の中でぐるぐると考え続けていた問題が少しぼやける。だから深く考え込まずに済み、結果としてストレス発散になるのではないかと思う。

一方で、読書はアプローチが少し違う。

本の中には、自分とは別の世界や物語が広がっている。その物語に意識を向けることで、自分が抱えている問題の存在感が相対的に小さくなるのだ。問題そのものが消えるわけではないけれど、以前ほど鮮明には見えなくなる。

よく「依存先を増やすべきだ」と言われるのも、この仕組みに近いのではないだろうか。

人は、悩みを完全にゼロにすることは難しい。だから大切なのは、悩みをなくすことではなく、「一つの問題だけが頭の中を支配している状態」を避けることなのかもしれない。

仕事だけ、恋愛だけ、お金だけ、自分の体調だけ。

そんなふうに視界に一つしか問題がないと、それが異常なほどクリアに見えてしまう。そして、うまくいかない時に心も大きく揺さぶられてしまう。

だからこそ、趣味でも運動でも、勉強でも人間関係でもいい。複数の関心事や依存先を持っておくことには大きな意味がある。

それは問題を解決するためというより、一つの問題の解像度を下げるためだ。他にも考えることや向き合うものがあれば、一つの悩みに必要以上に支配されずに済む。

結局、人は悩みそのものを消し去ることはできない。だからこそ、問題との距離感や見え方をコントロールすることが大切なのだと思う。

問題がなくなるから楽になるのではない。

問題の見え方が変わるから、楽になる。

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