遠回りこそ、人生の本質なのかもしれない

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昨今、特に若者の間では「コスパ」や「タイパ」という言葉が当たり前のように使われている。

かくいう僕自身も、大学時代はその考え方にかなり影響を受けていた。

限られた時間やお金を無駄にしないこと。
最短距離で結果を出すこと。

人生という単位で見ても、僕は遠回りすることを極端に嫌っていた。

起きる出来事すべてを、いかに最短でゴールへ繋げられるかを考えていたし、効率よく前に進めることに喜びを感じていた。

勉強も「最低限の努力で最大の成果を出す」ことばかり考えて、量より質にこだわっていた。
とにかく失敗したくなかったし、無駄な時間を過ごしたくなかった。

だからこそ、まず行動するよりも「どうすれば最も効率的か」を考える時間が増えていった。

量をこなすことはコスパが悪いと思い、とりあえず始める前に準備ばかりにこだわっていた。

でも、その“準備”にこだわりすぎた結果、やりたいことを始められないこともあった。

考えること自体は悪くない。
ただ、失敗や遠回りを避け続けたことで、結局何も動けなくなってしまう瞬間があった。

そんな自分の考え方が少しずつ変わったのは、社会人として働いたり、一人旅をしたりする中で、「やってみないと見えない景色がある」と気づいたからだ。

何か大きな出来事があって価値観が一変したわけではない。

むしろ逆で、最初から明確に「これがやりたい」というものがあったわけでもなかった。

ただ、その時少しでも興味を持ったことを、とりあえずやってみるようになった。

すると、やる前には分からなかった感情や価値観が、自分の中に少しずつ生まれていった。

仕事を経験したからこそ、「このまま同じ場所で生きていく以外の選択肢も見てみたい」と思うようになったし、一人旅をしたからこそ、「海外で暮らしてみたい」という気持ちも生まれた。

もし何も経験せず、頭の中だけで人生を考えていたら、自分の人生に対してここまで主体的になれていなかったと思う。

だから今は、「遠回り=無駄」だとは思わなくなった。

むしろ、一見意味がないように思える経験の中にこそ、その人の価値観や、本当にやりたいことの種が眠っている気がする。

効率よく生きることは大事だ。
でも、人生まで最適化しようとすると、自分でも気づいていなかった可能性や感情に出会う機会を失ってしまうのかもしれない。

遠回りしなければ見えない景色がある。

そして人生は、そういう景色の積み重ねでできているんだと思う。

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